古道具屋で、古い地図を買う

旅先で古道具屋を見つけると、つい入ってしまう。

骨董というほど上等なものではなく、
誰かの家を片付けて出てきた、雑多なものが並んでいる、ああいう店だ。
食器だの、農具だの、古い雑誌だの。
ぼくが見るのは、たいてい、紙ものの箱の中身だ。

先日も、そういう店で、古い地図を何枚か買った。
昭和の初めごろの、ある地方の五万分の一地形図。
一枚、数百円。

家に帰って、明かりの下で広げると、これがたまらない。

今の地図と見比べると、違いがいくつもある。
まず、いまはダムの底に沈んでいるはずの集落が、ちゃんと載っている。
小学校の記号がある。神社の鳥居の記号がある。
道が、今とはまるで違うところを通っている。

そして、地名だ。
いまの地図では消えてしまった、小さな字(あざ)の名前が、
昔の地図には、びっしりと書き込まれている。
谷ひとつ、沢ひとつに、それぞれ名前がついている。
その多くは、もう誰も呼ばない名前だ。

地図というのは、その時代の「世界の見え方」の記録なのだと思う。
何を大事だと思っていたか。何を記録に値すると考えていたか。
それが、線の引き方や、名前の拾い方に、表れている。

古い地図ほど、小さな地名を、丁寧に拾っている。
新しい地図ほど、道路と施設に重きを置いて、
小さな自然の名前を、容赦なく省いていく。

どちらがいいという話ではない。
ただ、ぼくは、省かれてしまった名前のほうに、心が向く。
誰も呼ばなくなった沢の名前を、古い地図の上に見つけて、
これは何という意味だろう、と考える。
それだけで、休みの一日が、すぐに溶けてしまう。

困った趣味だ。でも、やめられない。

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