本当の名前を、教えてはいけない土地の話

民俗学の古い本を読んでいると、ときどき、ぞっとする話に出会う。

ある地方に、こんな言い伝えがあった。
——山の、ある場所の「本当の名前」を、よそ者に教えてはいけない。

その場所には、ふだん使う、通称がある。
里の人は、みな、その通称で呼ぶ。
でも、それとは別に、「本当の名前」が、あるのだという。
そして、その本当の名前は、限られた者しか知らず、
みだりに口にしてはいけない、とされていた。

なぜか。
本によれば、「名を呼ぶと、来るから」。

何が来るのか、は、書かれていない。
ただ、本当の名を呼ぶと、それが「応える」のだという。
だから、通称で、お茶を濁す。
本当の名は、封じておく。

* * *

名前には力がある、という考え方は、世界中にある。

古代の人々は、本当の名前を知られることを、恐れた。
名前を握られると、その存在を、支配されてしまうと信じたからだ。
だから、王や神には、公にする名前とは別に、
秘密の「真の名」があった。
日本の神話でも、女性が男性に本当の名を明かすことは、
求婚を受け入れることと、同じ意味を持った。
名を教える、とは、それほど、重いことだった。

地名にも、それは、当てはまる。

ひとつの土地が、二つの名前を持っていることは、珍しくない。
表向きの、行政上の名前。
そして、地元の人だけが使う、古い、本当の名前。

たいていは、ただの方言や、古名の名残だ。
何の不思議もない。

でも、ごくまれに、その「二つ目の名前」が、
妙に、隠されていることがある。
教えたがらない。記録に残さない。口にするのを、ためらう。

そういう土地の話を読むと、ぼくは、考え込んでしまう。

なぜ、隠すのか。
ただの古名なら、隠す必要はない。むしろ、誇ってもいい。
隠す、ということは、その名前に、何か、知られたくない理由がある、ということだ。

名前は、ふつう、覚えてもらうために、ある。
忘れられないように、呼んでもらうために、つける。
それなのに、「呼んではいけない名前」がある、というのは、
名前の役割が、根っこから、ひっくり返っている。

呼ばれるための名前ではなく、呼ばないための名前。
覚えておくための名前ではなく、封じておくための名前。

* * *

ぼくの趣味は、消えゆく古い地名を、掘り起こして、書き留めることだ。
忘れられた名前を、もう一度、光の当たる場所に出すこと。
それが、いいことだと、信じてやってきた。

でも、この「教えてはいけない名前」の話を読んでから、
少しだけ、迷いが生まれた。

世の中には、掘り起こしてはいけない名前も、あるのだろうか。
そっと、忘れられたまま、土の下に置いておくべき名前が。

——たぶん、考えすぎだ。
民俗の言い伝えなんて、たいていは、自然への畏れを、物語にしたものだ。
山を敬い、むやみに踏み荒らさないための、知恵。
そう考えるのが、いちばん、まっとうだ。

そう、まっとうだ。
だから、ぼくは、これからも、古い名前を、掘り起こしていく。

ただ——もし、いつか。
「呼んではいけない」とされている名前に、出くわしたら。
そのときは、少しだけ、慎重になろうと思う。

知らない土地の、本当の名前を、軽々しく口にするのは、
やめておいたほうが、いいのかもしれないから。

——なんて。
柄にもないことを書いた。夏の夜の、戯言である。

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