その地名は、二百年後のあなたへの手紙だった

ある土地で、不思議な名前の小さな川を見つけた。

「蛇抜(じゃぬけ)川」という。

蛇が抜ける、と書く。
妙な名前だ。蛇がたくさんいるのか、と最初は思った。
でも、調べてみて、背筋が、すっと冷たくなった。

「蛇抜け」というのは、土石流のことだった。

山が崩れ、土と水と岩が、いっせいに、谷を駆け下る。
そのうねり、のたうつ流れが、巨大な蛇が山から抜け出てくるように見える。
だから、昔の人は、それを「蛇抜け」と呼んだ。

つまり、「蛇抜川」という名前は、こう言っているのだ。
——この川は、かつて、土石流を起こした。
——そして、また、起こすかもしれない。

地名は、警告だった。
それも、何百年も前の人が、まだ見ぬ子孫に向けて書いた、警告。

調べていくと、この手の地名は、驚くほど、たくさんある。

「蛇」のつく地名は、土石流や、うねる水の流れ。
「梅」や「埋」は、しばしば、土砂で埋まった土地。
「亀」は、地面が亀の甲羅のように割れる、地すべり地帯。
「鶴」は、水が「連(つる)」なって流れる、氾濫原。
美しい瑞祥地名に見えて、その下に、災いの記憶が隠れていることがある。

昔の人は、文字を持たない人も多かった。
だから、土地の危険を、後世に伝える方法が、限られていた。
石碑を建てても、倒れる。文書を残しても、読めなくなる。
でも、地名なら——
口から口へ、毎日、誰かが呼ぶことで、千年でも、残る。

地名は、いちばん長持ちする、伝言なのだ。

ところが、だ。

戦後、宅地開発が進むなかで、こういう「不吉な」地名は、
イメージが悪い、売れない、という理由で、どんどん改名されていった。
「蛇抜」が「美山」になり、「埋田」が「希望ヶ丘」になる。

そして——もう、おわかりだろう。
そういう土地で、しばしば、災害が起きている。
昔の人が、地名で必死に警告していた、まさにその場所で。
名前を変えられ、警告を忘れた土地で。

近年、大きな水害や土砂災害があるたびに、専門家が指摘する。
「この地域の古い地名は、危険を示していた」と。
後から、地図をさかのぼって、ようやく、気づく。
昔の人は、ちゃんと、伝えていたのに、と。

ぼくは、防災の専門家ではない。
ただ、古い地名を、面白がって集めているだけの、物好きだ。
でも、この「蛇抜川」の名前を知ってから、
古い地名を見る目が、少し、変わった。

これは、ただの言葉ではない。
顔も知らない先祖が、まだ生まれていなかったぼくたちに向けて、
必死で残してくれた、手紙なのだ。

二百年、三百年の時を超えて届く手紙を、
ぼくたちは、「縁起が悪い」の一言で、捨ててしまっていいのだろうか。

——もし、あなたの住む土地の地名に、
「蛇」や「龍」や、水にまつわる字が入っていたら。
一度、その由来を、調べてみるといい。
たいていは、何でもない。
でも、ごくまれに、それは、あなたへの手紙かもしれないから。

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