誰かが、記録していた

古本屋で、ある写真集を見つけた。

個人が自費出版したものらしい。
タイトルも素っ気ない。「○○村の記録」。
中身は、もう廃村になった、ある集落の、暮らしの写真だった。

おそらく、その村の出身者か、近くに住んでいた人が、
村が消えていく前に、せめて記録だけでも残そうと、撮りためたものだろう。
写真は、うまくはない。構図も、ピントも、素人のものだ。
でも、それがいい。

田植えの風景。学校の運動会。冬の雪下ろし。祭りの夜。
そして、だんだんと、家が減り、人が減り、
最後のほうのページには、もう誰もいなくなった集落の、空き家ばかりが写っている。

巻末に、短い文章が添えられていた。
「この村のことを、誰かが覚えていてくれたら、と思い、まとめました」と。

胸を衝かれた。

ぼくがやっていることも、結局、これと同じなのだ。
消えていくものを、せめて記録しておきたい。
誰かが覚えていてくれたら、と思う。
ただ、その「誰か」が、いるかどうかは、わからない。
この写真集だって、いま、古本屋の片隅で、百円で売られていた。
撮った人の願いは、届いているのか、いないのか。

それでも、その人は、撮った。記録した。本にした。
その行為自体に、意味があったのだと、ぼくは思いたい。

写真集は、買って帰った。
ぼくが覚えていよう。少なくとも、ひとりは。

——たぶん、これは、自分への慰めでもあるのだろう。
ぼくの撮りためた写真も、いつか、誰かが。
そんなことを、つい、考えてしまった。

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