夏の取材で、海辺の小さな町に来ている。
観光ガイドの仕事だから、撮るのは、明るい海と、新鮮な魚と、
日に焼けた笑顔の店主、といったところだ。
そういう、絵に描いたような「いい夏」を、記事にする。
それはそれで、嫌いな仕事ではない。
人が楽しそうにしているのを撮るのは、こちらも気分がいい。
仕事の合間、誰もいない時間の海岸を、少し歩いた。
海というのは、廃村とは、正反対の場所だ。
廃村が「終わったもの」「静止したもの」だとすれば、
海は、ひたすら「動いているもの」「終わらないもの」だ。
波は、何万年も前から、同じように寄せては返している。
人がいようがいまいが、おかまいなしに。
その、人間に無関心な感じが、ぼくは、嫌いではない。
むしろ、少し、ほっとする。
廃村を歩いていると、どうしても、人のことを考えてしまう。
ここに誰がいたのか、どんな暮らしをしていたのか、なぜいなくなったのか。
人の不在を、人として、考えてしまう。
だから、たまに、人とまったく関係のない、海みたいなものを見ると、
肩の力が、すっと抜ける。
波打ち際で、しばらく、ぼんやりしていた。
足元の砂が、波のたびに、さらわれていく。
立っているだけなのに、少しずつ、足が沈んでいく。
妙な感覚だった。
——さて、明日も取材だ。
明るい記事を、ちゃんと書かなければ。
夏は、稼ぎ時である。

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