地図を「見る」のと「読む」のは、違う。
見る、というのは、目的地を探したり、道順を確かめたりすること。
カーナビが、やってくれることだ。
読む、というのは、地図そのものを、一個の文章のように味わうことだ。
たとえば、等高線。
線が混んでいるところは急斜面、まばらなところは緩斜面。
これを追っていくと、行ったこともない土地の地形が、頭の中に立ち上がってくる。
ここは深い谷だ。ここは尾根だ。ここで道が、わざわざ大きく迂回しているのは、
たぶん、この崖を避けるためだ——というふうに。
それから、地名。
「水」のつく地名は、たいてい、昔そこに水があった。
「崩」「欠」のつく地名は、土砂崩れの履歴かもしれない。
地名は、その土地の性質を、こっそり教えてくれる、暗号のようなものだ。
だから、災害が起きると、よく言われる。
「昔の人は、ちゃんと地名で警告していた」と。
地図を読めるようになると、世界の解像度が、少し上がる。
車で通り過ぎるだけの風景が、
「ああ、ここはかつて川が蛇行していた跡だな」とか、
「この不自然にまっすぐな道は、後から人が引いたものだな」とか、
いろいろと、語りかけてくるようになる。
もっとも、これは諸刃の剣でもある。
読めてしまうと、気になって、寄り道ばかりするようになる。
取材の移動が、やたらと遅くなる。
締切に追われている身としては、困ったものだ。
それでも、やめられない。
地図は、ぼくにとって、いちばん面白い読み物だ。
小説より、ずっと。

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