ゴールデンウィークを使って、また道内の廃村をいくつか歩いてきた。
今回は写真の整理が追いつかないので、先に文章だけ上げておく。
歩きながら、いつものことだけれど、地名のことばかり考えていた。
北海道の地名のおもしろさは、もう何度もこのブログで書いている。
道内の地名の八割近くがアイヌ語に由来する、という話は有名だ。
ただ、ぼくがほんとうに惹かれるのは、その「由来」そのものより、
もとの音が、漢字という仮面をかぶせられて、少しずつ変わっていった過程のほうだ。
文字を持たなかったアイヌ語の地名に、和人が耳で聞いた音をあてはめていく。
最初はカタカナで、やがて漢字で。
そして漢字が当てられた瞬間から、その地名は二つの方向に引っぱられはじめる。
ひとつは「読み」が漢字に引きずられて変わっていく方向。
もうひとつは、長すぎる・難しすぎるという理由で、音そのものが削られていく方向。
たとえば「室蘭」。
これはアイヌ語の「モ・ルラン(小さい・坂)」が元だとされる。
当てられた当初は「もろらん」と読まれていたのが、いまでは「むろらん」だ。
漢字が、読みを引っぱった。
「麻布(あざぶ)」という地名が道東にある。
これはもともと「オ・タッニ・オマ・プ(川尻にカバノキのある川)」だったという。
それが「於尋麻布(おたずねまっぷ)」と当てられ、やがて略されて「麻布(まっぷ)」になり、
いまでは「あざぶ」と読まれている。
東京のあの麻布と、字面はまったく同じ。
けれど、ここにはカバノキの生えた川の記憶が、音の底に沈んでいる。
ぼくはこういう地名に出会うたびに、漢字を一枚ずつ剥がしていくような気持ちになる。
表に見えている字面は、いちばん新しい層だ。
その下に、和人が聞き取ろうとした音の層がある。
さらにその下に、もともとそこにいた人々が、地形を見て名づけた音の層がある。
地名というのは、土地の履歴書だ。
しかも、書いた人が何人も入れ替わっている履歴書だ。
だから、いちばん上の行(いまの漢字表記)だけを読んでいては、何もわからない。
今回歩いた廃村のひとつにも、そういう名前があった。
具体的な場所はいずれ写真と一緒に書くけれど、
集落としての「正式な名前」と、土地の古い人が呼ぶ「別の名前」が食い違っていた。
正式名のほうは、開拓や鉱山の時代に、和人がつけた縁起のいい字だった。
栄える、とか、宝、とか、そういう類いの。
こういう瑞祥地名は、明治以降にいくらでも量産された、いわば新品の名前だ。
ところが、近くで畑をやっている老人に話を聞くと、
その人はその集落を、まったく違う名前で呼んだ。
それは明らかに、もっと古い、川の名前から来ている響きだった。
ぼくが「正式名」を口にすると、老人は少し笑って、
「ああ、役場の名前な」というような顔をした。
土地の人にとって、行政や会社のつけた名前は「よその名前」なのだ。
彼らが本当に使っているのは、もっと前からそこにあった、川の名前のほうだった。
これはべつに珍しいことではない。
炭鉱や開拓でできた集落には、よくあることだ。
表の名前と、裏の名前。新しい名前と、古い名前。
ひとつの土地が、二つの名前を持っている。
ただ、その古いほうの名前――川の名前を、
ぼくはまだ、もとのアイヌ語の音まで遡りきれていない。
漢字で書くと難読で、読みもかなり訛っているらしく、
手元の地名辞典にもうまく載っていない。
これはちょっと、調べがいがありそうだ。
川の名前というのは、たいてい地形を表している。
「大きい川」「乾いた川」「沼の川」――そういう、見ればわかる名前だ。
だからその音さえ復元できれば、その土地がどんな場所だったのか、
名前そのものが教えてくれるはずなのだ。
写真の整理ができたら、その集落のことも改めて書こうと思う。
しばらく、この川の名前と付き合うことになりそうだ。
参考にした本(このあたりの話に興味がある人へ)
- 山田秀三『アイヌ語地名の研究』
- 知里真志保『地名アイヌ語小辞典』
- 『北海道の地名(日本歴史地名大系)』
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