廃道歩きの中でも、隧道(トンネル)は、特別な存在だ。
新しいバイパスができて、旧道が使われなくなると、
その途中にある古い隧道も、役目を終える。
封鎖されることもあれば、ただ放置されることもある。
先日歩いた旧道にも、そういう隧道があった。
明治か大正のものだろう。煉瓦積みの、味わいのある坑門。
中を覗くと、ひんやりとした空気が、奥から流れてくる。
反対側の出口が、小さな光の点になって見える。
隧道というのは、考えてみると、不思議なものだ。
山という、本来は「向こう側へ行けない」障害に、
人が無理やり開けた、穴。
人間の「向こうへ行きたい」という意志の、塊のようなものだ。
その意志が、役目を終えて、放置されている。
山は、ゆっくりと、その穴を塞ごうとしている。
入口には土砂が溜まり、内部には水が滲み、
いつか、また、ただの山に戻るのだろう。
ぼくは、こういう場所に立つと、いつも、少しだけ落ち着かない気持ちになる。
向こう側の光は見えているのに、足を踏み入れるのは、なぜか、ためらわれる。
中の暗がりに、何があるわけでもない。
ただ、暗くて、冷たくて、静かなだけだ。
それなのに、何か、こちらを「待っている」ような感じがする。
——もちろん、気のせいだ。
廃隧道なんて、ただの古い穴である。
そうわかっていても、結局、その日は、中まで入らずに引き返した。
また今度、気が向いたら。
そう思って、たいてい、二度と行かないのだけれど。

コメント