廃線跡を歩くのが好きだ、という話は、前にも書いた。
廃線には、廃駅がある。
列車が来なくなり、人が降りなくなった、駅の跡。
そういう場所の「駅名」を集めていると、あることに気づく。
北海道や、東北の開拓地に、妙に前向きな駅名が、多いのだ。
「希望(きぼう)」。
「協和(きょうわ)」。
「新生(しんせい)」。
「開運(かいうん)」。
「豊里(とよさと)」。
どれも、まぶしいほど、前向きだ。
そして、そのほとんどが、いま、廃駅になっている。
なぜ、こんな名前がついたのか。
開拓地、というのは、もともと、名前のない土地だった。
人が住んでいなかったのだから、地名も、ない。
そこへ、明治や、戦後、入植者たちが、入っていった。
深い森を切り拓き、湿地を干し、石を除けて、田畑にしていった。
凍てつく冬を、何度も、越えた。
そういう土地に、彼らは、名前をつけた。
古い由来も、伝承も、何もない、まっさらな土地に。
だから、つけられたのは、「願い」だった。
ここでの暮らしが、希望に満ちたものでありますように。
みなが協和して、生きていけますように。
新しい生(せい)が、ここから始まりますように。
地名が「願い」になる、というのは、考えてみると、すごいことだ。
七人塚のような、過去の記憶を刻んだ地名とは、正反対。
こちらは、まだ来ていない未来に、名前を、先に、つけている。
そして——その多くが、廃駅になった。
希望という名の駅に、もう、列車は来ない。
協和という名の集落に、もう、人は、ほとんどいない。
開拓は、報われたものばかりでは、なかった。
寒さに、貧しさに、土地のやせに、敗れて、去っていった人たちが、たくさんいる。
「希望」という名の土地から、希望を捨てて、去る。
その人たちの気持ちを思うと、ぼくは、なんとも言えない気分になる。
願いを込めた名前が、その願いが破れた後も、
看板として、ぽつんと、残っている。
それは、皮肉なのか。
それとも、せめてもの、慰めなのか。
* * *
来月、いや、もう少し先だが、北海道へ行く予定がある。
仕事の取材だ。
そのついでに、こういう「願いの地名」の跡を、いくつか、回ってみたいと思っている。
希望が、いまどうなっているか。
協和の、その後を。
地名は、その土地のいちばん古い記憶だ、と、よく言われる。
でも、開拓地の地名は、違う。
それは、記憶ではなく、祈りだ。
過去ではなく、未来に向けて、つけられた名前。
その祈りが、どこへ行ったのか。
叶ったのか、破れたのか、それとも、まだ、どこかで、続いているのか。
確かめに行くには、いい季節だ。
北海道の夏は、短くて、美しいと聞く。

コメント