仕事柄、全国いろいろな場所に行く。
観光の記事を書いていると言うと羨ましがられるのだけれど、
実際の取材はけっこう慌ただしい。
朝いちばんで現地に入って、決められたスポットを順番に回って、
写真を撮って、話を聞いて、夕方には次の土地へ移動する。
ガイドブックに載るような「映える」場所を、効率よく押さえていく仕事だ。
それはそれで嫌いじゃない。
でも、何年もやっていると、だんだん物足りなくなってくる。
誰が行っても同じ写真が撮れて、同じ感想になる場所ばかりだからだ。
それで、いつからか癖になったことがある。
取材の行き帰り、時間に余裕があるときだけ、
目的地のひとつ手前の駅で降りてみる。
あるいは、目的のインターのひとつ手前で高速を降りてみる。
そこには、たいてい何もない。
観光地でもなければ、名所もない。
ただ、人が暮らしている(あるいは、暮らしていた)土地が広がっているだけだ。
でも、その「何もなさ」が、ぼくにはおもしろい。
古い火の見櫓が残っていたり、
誰も使っていない木造の駅舎に、昔の運賃表が貼ったままだったり、
神社の由緒書きに、聞いたこともない神様の名前があったり。
そういうものは、ガイドブックには絶対に載らない。
載らないけれど、その土地で生きてきた人たちにとっては、
ずっと当たり前にそこにあったものだ。
仕事で書く「映える」記事と、こういう寄り道は、
ぼくの中ではっきり分かれている。
前者は仕事で、後者は完全に趣味だ。
このブログに書いているのは、もっぱら後者のほう。
たまに、「両方いっぺんに書けばいいのに」と言われる。
観光記事の中に、こういう渋い寄り道スポットを混ぜたらどうか、と。
でも、それはやらないことにしている。
うまく言えないのだけれど、
こういう場所は、人がたくさん来るようになった時点で、
たぶん、何かが変わってしまう気がするのだ。
誰にも知られず、ただそこにあり続けているからこそのものを、
ぼくは見に行っているのだと思う。
だから、このブログにも、具体的な場所はあまり詳しく書かない。
「どこそこの廃村に行ってきました」と地名を出して、
それで人が押しかけたら、本末転倒だから。
……まあ、そもそもこのブログ、
そんなに読まれていないので、心配する必要もないのだけれど。
次の取材は、北のほうだ。
今回も、時間が許せば、ひとつ手前で降りてみるつもりでいる。

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