「なぜ、似たものが、別々の場所に」――学生の頃に教わったこと

先日、大学時代のゼミの後輩から連絡があった。
恩師が、もうすぐ退官されるかもしれない、という話だった。

ぼくは大学で民俗学のゼミにいた。
郷土史や、各地に伝わる伝承を扱う、地味なゼミだった。
就職には何の役にも立たないとよく言われたし、実際そうだった。
いまのライター稼業も、ゼミとは直接の関係はない。

でも、ぼくがいまだに古い地名や廃村を追いかけているのは、
間違いなく、あのゼミと、あの先生のせいだ。

先生は、変わった人だった。
研究テーマを聞かれると、いつもこう答えていた。

「なぜ、似たものが、別々の場所に、あるんだろうね」

たとえば、遠く離れた土地に、よく似た伝承がある。
たとえば、何の関係もないはずの地域に、似た響きの地名がある。
たとえば、日本中のあちこちに、似たような形の祭りや、似たような禁忌がある。

普通に考えれば、偶然か、あるいは人の移動で伝わったか、で説明がつく。
昔の人が旅をして、話を持ち運んだ。文化が伝播した。それで終わりだ。

でも先生は、そこで満足しなかった。
「伝わったにしては、遠すぎる」「似すぎている」「説明のつかないものがある」と、
何十年も、そのことばかり考えていた。

正直、学生の頃のぼくには、その問いの何がそんなに面白いのか、
よくわかっていなかった。
若かったし、もっとわかりやすいテーマのほうが楽だと思っていた。

でも、卒業して十年、こうして全国を歩くようになって、
先生の言っていたことが、少しずつ、わかるようになってきた気がする。

各地の廃村や古い土地を訪ねていると、
たまに、ぞくっとすることがある。
まったく離れた二つの場所で、ほとんど同じ言い伝えに出くわす。
人の行き来があったとは思えない土地で、似た名前の沢に出会う。

そういうとき、ぼくはいつも、先生のあの言葉を思い出す。
「なぜ、似たものが、別々の場所に、あるんだろうね」

たぶん、ぼくはその問いの答えを、
アカデミックなやり方ではなく、
ただ自分の足で歩いて、確かめたいだけなのだと思う。

退官される前に、一度、顔を出しに行こうと思う。
ずいぶんご無沙汰してしまった。
最近こんな土地を歩きました、と報告したら、
先生はきっと、あの顔で「で、似たものはあったかい?」と聞くのだろう。

その時に、何か面白い土産話のひとつでも持っていけたらいいのだけれど。

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